産後・育休★長女編産 後・育児休暇中のこと 長女 H8.8.3生 帝王切開で産まれた長女。入院期間は10日間。 巨大児だった娘は保育器に入ることも、黄疸になることもなく入院期間は順調に経過 ただ一つ不安だったのは全くと言っていいほど泣かなかった事 大きく産まれたせいかいつもド~ンと構えていて、唯一泣くのはお腹がすいたときのみ! 回診に回ってきた部長先生に「泣かないんですけど、大丈夫でしょうか?」と聞いてしまったほど よく飲んで良く寝る子なんだと先生に言われましたっけ そして出産前には赤ちゃんが吸えないかも・・・といわれていたおっぱいも大きな長女のおかげで大量に出て、 入院中にすでに1回100ccを飲んでいました。 助産師さんに「この子だから飲めるんだよ」と言われ、この子は私を選んで生まれてきてくれたんだ!と心から思ったものです よく飲む長女は4キロで産まれ、1ヶ月検診では6キロ!! 異常な程の成長でしたが、母乳じゃあ仕方がない。と言われました。見た目は3ヶ月児のようでした 出産後の育児は一見順調に滑り出したのですが、 入院中昼間は元気で育児を楽しめた私もなぜか夜になるととっても不安で・・・ 家族のお見舞いが帰ってしまうと涙がポロポロこぼれました。 今考えるとマタニティブルーというものだったのかもしれませんね 当時、実の両親と暮らしていた私。退院後は実家兼自宅に戻りました。 出産前、産後は母の手伝いの元ゆっくり子育てするつもりだったのですが・・・ 産後の私はまるで野生の動物そのもの! 実母が我が子に触るのも嫌で、抱くことさえも拒否していました 産後の不安な気持ちがそういう感情を生み出してしまったのだと思いますが、 実母に取られてしまうのではないかと思っていたんですよね… 産後1ヶ月を過ぎる頃には私の体重も妊娠前と変わらなくなり、日光浴と称して散歩にも出かけられるようになりました 外に出られるようになって私の気分も大分落ち着き、自然と実母にもやさしく接するようになっていました その頃ちょうど生後2~3ヶ月の赤ちゃんを対象とした市の育児学級があり参加したんです。 当時は初めての育児でたよりは実母と雑誌「ひよこクラブ」だった日々でしたが、 同じ月齢の子供を持つママと知り合うことでお互いの子供同士にも個性があることを知り、 育児にも余裕が出来たような気がします 育児学級で同じ月齢の多くのママ友達が出来、10年たった今でも数人とは交流があります 長女は1ヶ月を過ぎたあたりから顔に脂漏性湿疹が出来ていたのですが、 月齢と共に悪化し3ヶ月を過ぎる頃には頬は真っ赤。 ただれた様になっていました 病院へ行きステロイドを処方され、それをを塗ると一晩で良くなるのですが、止めるとすぐに元通り 中には「アトピー」だと診断する先生もいましたが、「時期が来れば治る」という先生もいて、 私は後者の意見を信じ”良く洗ってワセリンを塗る”という生活を続けました 結局、病院の検査の結果でアレルギー反応が大豆・乳製品・まぐろに強く出ていることが判明しました。 特に乳製品では食べた直後に口の周りに湿疹が出るなどの症状があり、離乳食には気を付けました 当時の写真を見ると本当に痛々しくて切なかったのですが、 それでもどこへでも遊びに連れて行ったり育休生活を楽しんでいましたよ でも1歳の誕生日を迎える頃には肌はすっかりキレイになって、10歳になる今でもスベスベのお肌です! そして、翌年の4月に職場復帰を予定していたので、公立保育園の翌年度分の11月募集に申請しました。 職場の近くの保育園がいいのか?自宅に近い方がいいのか? それさえも分からず、とりあえず職場に行く途中に寄れる保育園を第3希望まで選び、保育園見学に行きました。 出産前はバスで通勤していたのですが、職場復帰を機に自家用車での通勤に変更しました そして職場近くの駐車場を借りることにしました 年明け1月になり育児休暇もあと3ヶ月の時、思いの残すことがないように・・・ 憧れだったベビースイミングを習い始めました! 生後5ヶ月からOKというところがあり、この日をずっと待っていたんです ベビースイミングなのでママももちろん水着になるのですが、 当時はまだ若かったので人に見られることなんて全然気にしてませんでしたね 今じゃ考えられないですけど・・・ 8ヶ月の保育園入所までたった3ヶ月間でしたが、週1日長女との良い思い出が出来ました 3月の最後の週、保育園入所決定通知が来ました。 結局第3希望の保育園でしたが、先生含めとても満足のいく保育園になりました それにしても11月に申し込んで3月末の入所決定 復帰1週間前にもし保育園に入れなかったら・・・想像しただけでゾッとしますよね お願いだから、入所決定はもう少し早くしてほしい・・・! 働く母の切実な思いですね |